硝子の刃
解放されたウエルトの街中で、不意にその姿を見かけた。
燃えるような紅い髪を靡かせて颯爽と歩く様は、溌剌とした躍動感に満ちている。
知らずその女の姿を目で追う。
無意識下で行われたその行為に不意に気付き、少し失笑したい気分になった。
まだ完全に信用した訳ではないのだから、と言い訳じみた感慨を抱きながら。
「…………う〜ん」
「お嬢ちゃん、何か欲しいもんでもあんのかい?さっきから随分もの欲しそうに見てるけどさ」
「えっ、いやあのね、別にひやかしとかそんなんじゃないのよ、えっと…………」
あの紅い髪の女剣士は、しばらく街中をふらついた後、武器屋の中に入っていった。
流石に中に入る訳にもいかず、またつい後を尾けるような事をしていた自分が馬鹿らしくなって、ヴェガは他人にそれと解らぬ程度に眉を顰めてその通りを過ぎようとした。
「…………あのね、この剣、…………もうちょっとまけてくれない?」
「あ、これかい?お嬢ちゃん、いい所に目付けるねぇ。これ、昨日入ったばかりの業物なんだよ。ちょっとこの島ではお目にかかれない程の一品だからねぇ。…………う〜ん、でもねぇ、だからちょっと」
「解った!じゃ、これ取っといて!お金作ってくるから、誰にも売らないでね?!」
「え?お金作ってくるって、お嬢ちゃん何するつもりだい?」
「夕方まででいいから。じゃお願いね、おじさん!」
外までも聞こえてくる遣り取り。何事かと思ってつい足を止めたヴェガの目の前を、彼女は猛烈なスピードで走り抜けていった。彼がいた事など気付きもしなかったのだろう、彼女が振り向く事はなかった。
「………………………」
目に映るのは紅い残像。
しばしの間を置いて、武器屋の主人らしい年配の男がおたおたと店先に出て来る。
「あ〜ぁ、行っちゃったよあの娘。金策の当てでもあるのかね」
仕方ないなぁ、綺麗な娘だったし、夕方までは取っといてあげようかな。
そうぼやきながら退散する男の声は、ほとんどヴェガの耳には入っていなかった。
紅い髪の女が向かった方向…………その先にあったのは、闘技場ではなかったか。
俺は一体何をしているのか。
そんな風に思いはしても、今となってはただの言い訳で。
殊更に彼女が向かったのとは逆方向に足を進めた筈なのに、気が付けば目の前には常にない賑わいを見せる闘技場があって。
(…………………………)
数瞬の逡巡の後、彼は足を踏み出す。
確かに、興味はあった。あの殺意のない剣を使う女が、例え生死を賭けた真剣勝負ではなくとも、自ら剣を取って戦う様に。
自分に向けられた剣先には迷いと怯えがあった。
見ず知らずの敵に刃を向けた時も、それは同じで。
血を流す事に、殺す事に恐れを抱く人間が、そうした命の遣り取りが絡まぬ場では嬉々として剣を取るという。
その現実に、酷く皮肉めいた気分を覚えた。
………………甘い事を考える。殺す事が嫌ならば、剣を捨てればよい。
剣の道とは生ぬるい競技などではない。それを、あの女は解っているのだろうか。
「〜〜〜おおっと、飛び入りの美人剣士ジュリア嬢、早くも三人抜き達成だ〜っ!どこまで続くかこの快進撃!!」
客席に足を踏み入れた途端に飛び込んできたのは、耳をつんざくような大声援。熱狂する観客達は、みな一様に彼女の名を叫んでいた。
遥か下に見渡せるコロシアムの中心部。そこには、確かに見覚えのある紅い髪の少女が剣闘用の刃を潰した片手剣を手に悠然と佇んでいる。
「このままでは情けないぞ、歴戦の剣闘士ども!ちったぁいい所も見せてみやがれ!…………おぉっと、次なる戦士はこのウエルト一の剣闘士との誉れ高いあの男の登場だぁっ!!」
高まる歓声。競技場に、大斧を抱えた巨漢の男がゆっくりと入ってくる。
パフォーマンスか、人の背丈ほどもありそうな斧を頭上で一回転させる剣闘士。離れていても聞こえてくるブンという風を切る音に、たちまち辺りは水を打ったように静まり返る。
(…………………見掛け倒しだな、たいした事はない)
その反応に気を良くしたのだろうか。その男は殊更大声で目の前の女剣士を挑発した。
「へっ、いい女じゃねぇか。ようお嬢ちゃん、その綺麗な顔が二目と見られなくなる前に降参しちまえよ、今なら特別に俺の部屋に招待してやるぜ?」
下卑た笑い声が響き渡る。
だが、それに対する彼女の応酬は凄まじかった。
流れるような動きで剣を突きつけ、口を開く。
「寝言言ってるんじゃないわよ、誰があんた如きに負けるって?私は自分より弱い男と付き合う気なんかないの、無駄口叩いてる暇があったらさっさとかかって来なさい」
勝負は一瞬だった。
怒りに我を忘れたその剣闘士の突進をなんなく避けて、背後に回りこみ首筋に一撃。
その技の正確さと速さは、ヴェガですら思わず感嘆の溜息を漏らした程で。
あえなく昏倒した男に一瞥をくれると、彼女はさっと剣を払い構えを解く。
その瞬間に沸き起こる、今までにない程の大歓声。
光り輝くような、無垢なまでの笑顔。
そこにはあの燃え立つような髪の紅があるだけで、血の禍禍しい赤は見えなかった。
何となく、解った気がした。
彼女の剣の危うさが。
(あれは、硝子だ)
美しく儚い、鋭くて脆い、硝子の刃だ。
ただ純粋に剣を振るっているその姿は眩く輝いてはいても、鋭いその切っ先は対象もろとも己をも斬り裂く。
血を流そうと僅かな力を込めるだけで容易く砕け散り、その様は陽炎の様に儚く一瞬で消え去る。
そのような危うく、…………………魅力的な剣を、今まで彼は目にした事がなかった。
だから、これだけ目を引かれたのだろうか。
しかし、そのような脆い存在がどこまで己を襲う衝撃に耐え切れるか。
もう既に見え始めている細かな罅が、何時全体にまで広がっていってしまうのか。
砕け散った硝子は、美しくはあるが、…………二度と元の姿には戻らぬ。
脆い硝子の刃がそのまま崩れるのか。
もしくは、やがては強固な水晶の刃へと姿を変えるのか。
血を流す事に怯え、人を殺す事を恐れるあの娘は、やがて自分が流した血に溺れるのか。
それとも、血に染まらぬ、未だ彼が見た事のない剣の道を見出し前を見据えて歩き出すのか。
それが見たいのだろうか。決して己と交わらぬ道を往こうとする彼女の剣を見届けたいのだろうか。
壊れる様を間近で眺め、嘲笑したいのだろうか。
手を伸べて、硝子が水晶へと変わり得るように、その瞬間まで守ってやりたいのか。
「…………………くだらぬ」
ぽつりと呟いた小さな声は、煩いほどの歓声にかき消されて己の耳に届きもせずに消えた。
乱暴にその場を後にして、わき目も振らず出口へと歩を進める。
しかし彼の目には、鮮やかな紅い輝きが残照のように残っていた。
end.
シュラムさんのストーカー日記。後を尾けるのはやめよう死神さん。
しかし、ゲーム中では別にヴェガジュリちっくなイベントなんかないんだけどなぁ、気が付いたらヴェガ→ジュリアな設定が出来ている自分に乾杯。兄さんとジュリアちゃんの取り合い…………とかやってくれたら面白かったのに。実際にゲーム中にジュリアちゃんを兄さんと取り合うのはガロだしな(笑)。しかも奴が出てきたらガロさん横からジュリアを掻っ攫われる運命にあるという。ガロジュリでシゲン独身なEDだと、シゲンが影でジュリアを略奪してアシカ号に乗り込んでくるのは爆笑。やっぱあの男は最強だったのか、とか思ったし。って、これヴェガ語りじゃねぇぞ(爆)。
でも個人的には「どうよ?」って感じの一品。あんまりいい出来とは思えないなぁ。何か短いしね。