CAPRICIOUS HEART






 微かに揺れる船。
 時折聞こえる潮騒。
 窓から差し込む柔らかな月の光。
 一度は振り払い、想い出の中にしか存在を許されぬ物になったはずだった。
 それなのに、以前と変わらず何事もなかったようにこの船に居場所を得ている己を振り返り、クリシーヌは僅かに苦笑する。
 (またここに戻ってこれるなんてね。あの時は、そんな事思っても見なかったのに)
 クリシーヌが行った事は、弁解しようのない裏切り行為である。それだけに、やはり最初は冷たい視線と言葉が彼女を待っていた。
 普段の性格からは信じられぬほどに頑なな表情であっさりと彼女を突き放したホームズは、多分正しい。船の上という特異な閉鎖環境で過ごす事の多い海賊船の船長として彼は当然の事をしたまでだ。それが解っていたから、クリシーヌはホームズを恨む気にはなれなかった。その場で断罪されなかっただけでも有難いというものである。
 クリシーヌがこの場所に戻って来れたのは、ひとえにシゲンの口利きの為である。
 女神の奇跡の宝玉を持ってしてもかつての恋人を甦らせる事が敵わないと思い知らされて、絶望の淵に陥りかけ自棄になっていたクリシーヌに手の差し伸べてくれたのは、他ならぬ彼だった。例えそれが同情でしかないと解ってはいても、それでも彼女は救われたのだ。
 心を満たす暗い絶望からも、己を縛り付けて離さなかった美しく清らかな過去の呪縛からも。
 そしてそんな彼女等を尻目に、渋々と言わんばかりの苦い表情でホームズはクリシーヌの同行を許可した。
 他の仲間達も皆、今となっては何もなかったかのように以前と変わらない態度で接してくれている。
 (あたしは、きっと恵まれてるわね)
 一度はこの世界の闇の深遠に落ち込んだりもしたけれど、それすらも若さゆえの激情と今では笑える気がした。
 そして、彼女をそんな風に笑えるようにしてくれた男の事を思い出す。
 クールな瞳とシニカルな笑みでいつも自分を飾っている、どこか掴み所のない青年剣士。
 自分より2つも年下だと知ったときは正直驚きもしたのだが。
 (まだ起きてるわよね、あの人。会いに行ってみようかしら)
 くすりと微笑んでクリシーヌは立ち上がる。彼女はそのまま躊躇わずに扉に向かって歩き出した。




















 目的の人影を見出したのは、それから随分後。
 空っぽの自室をまず見つけ、それから他人がいるとは思えない静かな船長室に行き当たり、ふらふらとあちこちを彷徨って甲板に上がった所、ようやくそこに辿り着いたのだ。
 明るい光を投げかける満月。その白い光を肴に、シゲンは一人杯を傾けていた。傍らには、こちらはもう潰れてしまったらしいホームズがいささかだらしない表情で熟睡している。成る程、船長室が静かな訳である。
 ゆっくりと近付くクリシーヌに、シゲンは目敏く気が付いた。その顔にはこれっぽっちも赤みが差していない。周りには結構な数の酒瓶が転がっているというのに、底なし振りは相変わらずのようだ。
 「クリシーヌか、どうした?」
 「大した理由はないわ。そうね、強いて言うなら、あなたに逢いに来たの」
 「なんだ、独り寝が寂しいのか?」
 「そうだと言ったらあたしの部屋に来てくれる?」
 挑発的な視線と口調で言い放つ。しかし、案の定と言うべきか、シゲンは少しも怯まずにただ忍び笑いを漏らすだけだった。顔に似合わず純情で奥手な相棒とは違い、こちらには馴れがあるのか可愛げのかけらもない。
 「お前も飲むか?一人で月見酒を気取るのもいいが、側にこんなもんが転がってちゃ風情も何もありゃしねぇ」
 さらりとした口調。底の見えない瞳。しかし、きっと下心は何もない。
 残念な事では、あるけれど。
 「えぇ、そうね。じゃぁあたしも付き合わせて貰おうかしら」










 「………あの時は、ありがと」
 即席の酒宴に飛び込んで、幾度か杯を交わした頃。突然思い出したかのようにクリシーヌは呟いた。
 「あたし、ホームズに斬られたって文句言えない事したわ。船乗りの間では裏切りは重罪なのに、あなたはそれを曲げてまであたしを庇ってくれた」
 「俺は生粋の海賊じゃねぇからな。気にする事はねぇよ。……ま、こいつだって解ってなかった訳じゃないしな。怒ってはいたが本気じゃなかった。何かきっかけがあればどちらにせよお前を許したと思うぜ」
 「ふふっ、それでもね、…………嬉しかったのよ、あたし。損得抜きであたしの味方になってくれた人を見るのは、本当に久し振りだったから」
 その言葉に嘘偽りはない。
 恋人を失い仇討ちを誓って剣を取った時から、世界は醜くその姿を変えてしまっていたのだから。
 シゲンは何も言わない。きっと、解っているからだろう。世界の醜い部分も、そうした所で一人生きていかざるを得ない女の末路も。
 「そうだな、昔の事は忘れちまった方がいいぜ。もう過ぎた事だ、今更どうしようもねぇ。そんなもんに囚われているよりやり直す事を考えた方がいい。お前はまだ若いんだから、いくらでも好きな道を歩めるさ」
 ややあって紡がれたシゲンの言葉は、正論なのにどこか悲しい響きが纏わりついていた。
 まるで、彼自身が自分の言葉を信じてはいないかのように。
 まだ輝かしい未来と己の可能性を無邪気に信じていてもいい年齢なのに、そういった希望が彼の言葉の響きからはどこからも見出せないのだ。
 しかしクリシーヌはあえてその事を黙殺した。今はただ自分を気遣ってくれた、その事実だけが嬉しい。
 「年下のあなたに若いなんて言われても落ち着かないわね」
 「ほっとけよ。歳なんて自分の自由に出来るもんでもないし」
 「老けてるってよく言われない?」
 「聞き飽きた」
 少々憮然とした表情を覗かせたシゲンを、クリシーヌは遠慮なく笑い飛ばした。
 夜空に快活な笑い声が響く。少女のような邪気のない声は、彼女にはまるで自分の物ではないようにも思えた。
 「遠慮ねぇ女」
 「性分なのよ。………無遠慮ついでにもう一つ、言っちゃおうかしら」
 「今度はなんだよ?」
 心の中で、ある言葉を練り上げる。
 今まで幾度となく口にしてきた、自己嫌悪しか誘わなかった言葉。
 しかし、今は不思議と心が沸き立っている。
 「ねぇシゲン、あたしの男にならない?」



 返ってきたのは、呆れ混じりの苦笑い。
 「本当に遠慮ねぇな。いきなりそう来るとは思わなかったぜ」
 「何言ってんのよ。狙いをつけたら即落とす、あたしはこれで今まで勝ち上がってきたのよ?」
 「で、今度は俺か?」
 「そう。悪い話じゃないんじゃないかしら?」
 クリシーヌの視線を受けて、シゲンは間を置くようにゆっくりと杯を干した。
 再び彼女を見据えたシゲンの目は、真摯でありながらもどこか掴み所がない。
 薄い唇が、いつもの皮肉げな笑みを刻んだ。
 「遊びはもう飽きたんだ」
 「言うわね。やっぱり戦歴は豊富だったって事かしら?」
 「ま、な。昔の事だけどよ」
 少しだけ、黒い瞳が宙を彷徨う。過去を思い返してでもいるのだろうとクリシーヌは思った。
 「お前も自分を安売りすんのはやめた方がいいぜ。安易に引っかかる男なんてロクなもんじゃねぇ。俺が言うのもなんだがな」
 「ご忠告ありがと。でもね、信じてもらえないかもしれないけど、あたし、本気よ?」
 ひしと目の前の男を見据える。
 芽生えてしまった久方振りの本気の想いと共に。
 シゲンは最初は何事か言いかけたが、その言葉を途中で飲み込んで彼女の視線を真っ向から受け止めた。
 視線が絡み合った時間は、クリシーヌには永遠とも刹那とも感じられた。









 やがて、シゲンはふっと肩から力を抜き、いつもの表情を取り戻して口を開く。
 どんな答えが返ってきてもいいように、クリシーヌは覚悟を決めた。
 彼の心が自分の上にはない事など、とうに承知していたから。
 だが。





 「俺と寝たかったら惚れさせてみな。そして屈服させてみろよ、クリシーヌ?」





 そう囁いたシゲンは、今までに見たどんな男よりも危険で魅惑的で。
 (………あぁもう、なんて男)
 もう完全降伏するしかない。こんな瞳で、こんな顔で、こんな事を言われたらどんな女だって落ちるという事を果たして彼は解っているのだろうか。
 (全く、その気がないたらし男ほどタチの悪いものはないわよ)
 苦笑しながら、クリシーヌは立ち上がる。肩を竦めて、やれやれとでも言わんばかりに盛大に溜息をついた。
 「まだあなたを落とすのは無理みたいね。女を磨いて出直すとするわ」
 「楽しみにしてる」
 「そんな事言っていいのかしらね?本気でいくわよ?」
 「出来るもんならやってみな。俺はそこらのガキ共みたいに簡単にはいかないぜ」
 睦言というには色がなさすぎる言葉の応酬に、微笑みながらクリシーヌは身を翻す。
 呼び止める声はない。
 それでいい。ここであっさりと引き止めるような男なら、ここまで苦戦はしないし、のめり込みもしない。
 颯爽と歩を進めながら、闇に紛れそうな声でクリシーヌは呟いた。
 「ほんと、あたしってば恋愛運は皆無だわ。違う女に惚れてる男にここまで溺れるなんて」
 どうせシゲンには聞こえないだろう。
 しかし、届けばいいとも思う。
 あのどんな時でも余裕綽綽な男が多少なりとも取り乱す様を見てみたい気がした。










 心の中に巣食っていた闇は、もう何処にも見当たらない。





end.

 シゲン×クリシーヌ話じゃありませぬ。(紛らわしい)
 ま、そうとも取れそうな話だけどさ。ってか際どい会話してんな〜こいつら。
 しかしこれが書きたかった理由が、

 「俺と寝たかったら惚れさせてみな」←超問題発言

 というシゲンのセリフを書きたかったが為でございますの。最低自分☆

 しかしもっと問題なのは、この場合の(も、と言い換えても可・笑)シゲンはジュリアとグラナダで一夜を過ごしているんですわよ(爆)。そのくせクリシーヌにコナかけてんですかいあんた。あぁほんとに天然たらしはタチが悪い。だからクリシーヌの言うシゲンが惚れてる女ってのはジュリアの事。ん〜、せめてもの抵抗だったのかなぁ俺?(知るか)
 しかし攻略本(青)の人物紹介のミニ小説によると、姐さん22歳らしいですが。
 絶対サバ読んでると思ったの、俺だけですか?(酷)

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